[特集グローバルコリアン]在日韓国人、21世紀の肖像‐2部 新到来人時代
東京都内秋葉原地域のある大型免税店

中国観光客でそれこそ’人の山,人の海’です。

各種電気製品をはじめ生活小物まで無いものはないほど多様な商品が客の視線を釘付けにする。

およそ3万種を超える商品が主に外国観光客相手に売れていきます。

最近には中国観光客がメインの顧客です。

売り場が静けさを取り戻した頃、現れた男

まさにこの免税店の運営者、張永軾代表です。

展示された商品を一つ一つ点検して回りながら、社員たちにも売り場の現況に対しあえこれ尋ねます。

秋葉原免税店は張永軾代表が免税店事業を立ち上げながら最初にオープンした場所であるだけに愛情も深いものがあります。

張永軾代表が日本に来たのは1990年代初頭

留学を夢見てここに来た時を見ても父親が田んぼ1枚売ってもらった300万ウオンが全財産でした。

[張永軾、永山代表]

”初めに始めたのは焼肉屋で鉄板洗いをやりました。地下1階でです。これをやりながら学費を稼がなくてはならないのだが、鉄板洗いだけでは金の準備ができないので、

アルバイトを掛け持ちしたわけです。掛け持ちしたのが新聞配達でした。その当時日本では米騒動がありました。あー、韓国の米を輸入すればいいんじゃないか、と思って 

その時韓国米を大量に持ってきました。米屋を一度やって見たらこれが貿易というものなんだな。貿易をやらなくては。”

張代表は1997年永山を設立した後、日本のカセットプレーヤーを大量に仕入れし韓国に売る形でささやかに貿易業を始めたのです。

そして、だんだんと事業を拡張させて行きました。

今では日本の多様な地域に17ヵ所の免税店を運営しています。

年間売上2000億ウオン

みじめだった初めのころに比べれば相当な成長です。

しかし、その過程は平坦な道ではありませんでした。

[張永軾、永山代表]

”2008年に円が暴騰し始めました。その時、最も大きな損失を被りました。ほとんど100億ウオン以上の赤字を出しました。2011年東北地方の地震で、津波が来、放射線が放出し、

日本は全く焦土になりました。免税店に一人の客も来ないんです。”

このように大きな危機を一つ一つ乗り越えながら、彼は事業多角化の必要性を切実に感じました。

電動アシスト自転車事業に飛び込んだのもその為です。海外事業も攻撃的に拡張しています。

[張永軾、永山代表]

”ミャンマー、カンボジア、ベトナム、インド、インドネシア、これから進出する地域になるでしょう。我々が狙っている地域がまさに東南アジア圏です。

依然として開拓者精神でがっちり固まっている張永軾代表

鉄板洗いから始まり年間2000億の売り上げる会社を育てた彼は日本を新しい人生の舞台に選んだ若きニューカマーにとって意味深長な成功モデルです。

彼が日本で成功を成し遂げた原動力は何でありましょうか。

どん底から新たな冒険を絶えることなく試み、日本社会の特性をよく理解し適応していく力が彼の鍵であることを張代表は示している。

彼は国家間の境界を跳び越えグローバル時代の野心に満ちた新到来人です。

韓国人特有の誠実さと創意で武装したニューカマー在日同胞の中でまた別の韓国の模様を刻んでいます。

何より韓日間の外交的宿題が解決されない中でも民間同士の活発な交流を率いる架け橋の役割を着実に成し遂げています。

YTN KOREAN 海外レポート